マークスです。
今回は米国株から離れ、カーライフのカテゴリーでのブログを書きます。
書き始めるとかなりの長編になってしまったので、何本かに分けることにしました。
1台目:フォルクスワーゲン411 タイプ4
免許取り立てだから練習用にと父親のお下がりで1年程乗りました。空冷エンジンのRRでフロントに大きいトランクがあったのが珍しくボディも頑丈一点張り、塗装も厚く古き良き時代の車でした。
アイドリングでは少しハンチングする空冷独特の排気音だったので父親が帰って来るのが遠くから分かるオレンジ色の近所でも目立つクルマでした。
フォルクスワーゲンであるという以外は、長らく車名が不明でしたがブログ開設の機会を受けて調べたところネット検索に引っかかってくれました。
2台目:トヨタ スプリンタートレノ APEX 3Dr(AE86)
初めて買ったクルマでスポーツカー好きなら聞いたことがある名車です。漫画「イニシャルD」で一挙に知名度があがり、今でもクルマ好きに大切に乗られている名車です。イニDブームの時はプレミアが付き新車価格を超える値段で売られていたこともありました。
色は赤白ツートンで当時初めて扁平タイヤが認可され60タイヤをオプションで履けるようになったのが印象的でした。
購入数か月後にエアロパーツも認可されオプションにエアロが追加出来るようになり、少し買うのを早まったと落胆したのを今でも覚えています。
この思いが後に、またAE86を買うことに繋がるのですが、当時はまだ「クルマはノーマルで乗るものだ」と強く思っていた時期でした。
この頃からクルマのチューニングに対する緩和が始まり、業界の転機を迎えたように思います。
3台目:ホンダ プレリュード 2.0Si
時はバブル真っただ中。通勤に使っていたトレノが、何故かいつも同じ踏切待ちの場所で謎のハンチングを起こし、ディーラーに修理依頼をするもかなり若い営業担当者に「スポーツタイプだからしょうがない」などと言われ不信感から売却し、プレリュードに乗り換え。オンナをナンパするならこのクルマと言われていました。
残念ながらナンパではなく、友人所有AE86レビンGTVがワインディングでドリフトするのを目の前で見てチューニングの楽しさ、ワインディングを走る楽しさに目覚め、一気にのめり込みました。今にして思えばモッタイナイ・・。
当時、東京へ長期出張で3年近く滞在しており、千葉で開催され伝説となった某チューニング雑誌主催ヒルクライム競技にCクラスで参加し、2位入賞したのをきっかけに、ますます深みにハマることに。
以後、走りに行った筑波山で事故を起こし、大破。体は無事で保険で修理はしたのですが、タイトコーナーでドライブシャフトが修理しても何度も抜けるトラブルが完治しない状況が続いていました。
4台目:トヨタ スプリンタートレノ GTV 3Dr最終型(AE86)
伝説のヒルクライム競技で名を馳せた墨田区の某ショップの紹介で出会ってしまい一目惚れ。プレリュードのトラブルに嫌気が差していたこともあり購入に踏み切りました。程度のいいAE86最終型が少ないこともあり、ほぼ新車価格と変わらない値段だったと記憶しています。ボディーカラーは白黒ツートン、通称パンダトレノです。
このクルマにクルマの楽しさの総てを教えてもらったと言っても過言ではないと言えます。
自分でエンジンを下し、256°ハイカムを組み、ポート研磨やフライホイール軽量化を含めた各パーツのダイナミックバランス取り、ボアアップしたハイコンプピストンの組み込み、コンロッドの研磨、バランス取りを施し、有名チューニングショップでエンジンチューンをした友人の86よりパワーがありました。
排気系にはトラストタコ足、5次元マフラーを組み込み名機4AGのレスポンスを官能的なエキゾーストで奏でてくれていました。
駆動系としてミッションはクロスミッションを組み、足回りは某ショップオリジナル車高調、TRD製LSDを組み、ひらひらとコーナーを駆け抜けるように仕上げました。
友人が事故をきっかけにAE86レビンを全塗装したに影響され、白の部分を青に全塗装。青黒ツートンのボディカラーに。
後にサーキット専用にナンバーを切ってからはボンネット、リアゲートをFRPとしフロントガラス以外をアクリル化。内装も運転席以外はすべて撤去しアルミ4点ロールケージを組み込み、エアコンレスにして、徹底的に軽量化。平坦な舗装上であれば指一本でクルマを押せる程でした。
ずっとサーキットで乗り続けるつもりでしたがスクーバダイビングにハマってしまい、時間とお金をそちらに使うようになり、サーキットデビューをしている後輩に譲りました。
今でも思い出深いクルマであります。
5台目:日産 シルビアK‘S(S13)
クルマのチューニングへの当局の規制緩和とバブル景気を追い風に国内自動車メーカーもこぞってハイパースポーツや今では死語となっているハイソカー(ソアラとかマークⅡとか・・懐かしい)を発表していましたが、バブル崩壊を受け徐々にスポーツカーが終わりの始まりに差し掛かる頃。
流麗なデザインで2Lターボを積み軽量なFRスポーツとしてデビューしていたこのクルマ、初めてのターボ車に乗りたいのと、チューニングが進んで街乗りに適さなくなった86をサーキット専用にしてほぼノーマルで快適に走りたいと考えて購入。
86のナンバーを切れば2台持ちでも維持出来るだろうと考えたからですが、諸事情により86を手放すことになり、シルビアでサーキット走行もこなすことに。
ハードランに対してはラジエター容量が不足していたのか、鈴鹿サーキットで全開走行すると2周でオーバーヒート。ボディーのよじれも結構あり、ストレス溜まって早々に乗り換えることに。
さて、少し長くなりました。現在に至るまでは13台となります。
この辺で後編に続けることとします。
ではでは。
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